2007年4月アーカイブ

リンキンパーク ヒストリー1 -Beginning-
リンキンパーク ヒストリー2 -HybridTheory-
リンキンパーク ヒストリー3 -Meteora-
の続きです。


2004年のヨーロッパツアーを終え、メテオラ発売後1年以上に渡って続いたツアー生活も一区切りを迎えます。しかしバンドは休む間もなく、MTVの企画によるJAY-Zとのマッシュアップアルバム「Collision Course」のレコーディングにとりかかります。2週間という短期間のレコーディングの後、2004年7月18日にはカリフォルニアのThe Roxy TheatreにおいてJAY-Z/LINKIN PARKの両者のファンが参加して、ライブ映像の収録が行われました。アルバム「Collision Course」はCD+DVDの2枚組みで2004年11月30日に発売され、ビルボード総合チャートで1位を記録するなど、スマッシュヒットとなります。

2004年の年末に東南アジア一帯を襲った津波からの災害復興を支援するため、2005年に入ると直ぐにバンドはMusic For Reliefを設立します。Music For ReliefにはJAY-Z、KORN、Hoobastankなど数多くのアーティストが賛同し、カリフォルニアにおいてチャリティーライブを開催する事になります。さらに、アフリカの貧困を救済するためU2のボノらにより主催された世界同時チャリティライブ「Live8」に参加し、フィラデルフィア会場でJAY-Zと共にパフォーマンスを行います。この時の音源はファンクラブ限定CDとしてリリースされました。

2005年7月、マイクは自身のサイドプロジェクト「FORT MINOR」を発表します。このプロジェクトは彼自身のルーツであるHip-Hopにフォーカスしたものであり、JAY-Zによるプロデュースを受けることになります。FORT MINORとしてのデビューアルバム「The Rising Tied」は2005年11月22日に発売されましたが、その直前の11月9日には横浜BLITZにおいて一夜限りの単独ライブを敢行しました。
時を同じくしてチェスターもソロプロジェクトを発表します。このプロジェクトにはORGYのAmir DerakhとRyan Shuckが参加しており、プロジェクト名は「Dead By Sunrise(発表当時はSnow White Tan)」と発表されていますが、LPのニューアルバム制作に専念するため、アルバムの制作は延期されています。


続く。

リンキンパーク ヒストリー1 -Beginning-
リンキンパーク ヒストリー2 -HybridTheory-の続きです。

HybridTheoryとReanimationの成功の中、バンドはアメリカ中を回る長いツアーへと出発します。しかし、その最中の限られた時間を無駄にする事無く、メンバーはツアーバスをスタジオとして使いながら新作の制作を開始します。2002年12月にはギリシャの歴史的修道院にちなんで名づけられたニューアルバム「Meteora」が公式にアナウンスされました。Meteoraではニューメタルやラップコアといったバンドのそれまでのスタイルを踏襲しながらも、日本の尺八を使うなどいくつかの新しい試みもなされました。Meteoraは2003年3月25日にリリースされ、すぐに世界的な人気を得る事になります。発売初週だけで80万枚以上が販売され、ビルボードの「best selling album 」にもチャートインします。Somewhere I BelongやBreaking the Habit、Faint、Numbなどのシングル曲はラジオでも大量にオンエアされ、結局、2003年10月までの7ヶ月間でMeteoraは300万枚以上販売されました。

アルバムの成功はバンドにさらなるチャンスをもたらします。2003年の夏、バンドはメタリカの主催するSummer Sanitarium Tourへの出演を果たします。このツアーではメタリカはもちろんLimp BizkitやMudvayneそれにDeftonesなどと競演し、音楽の幅をさらに広げることになります。このツアー中にテキサスで行った公演の模様はLinkinPark初のライブアルバム「Live in Texas」として2003年11月に発売されることになります。また、2003年10月には2度目の来日を果たし、横浜・東京・大阪の3都市で公演を行いました。2004年に入ってもバンドの勢いは衰えず、RockAmRingへの参加を含むヨーロッパツアーを行った後、アメリカ国内で2度目のProjectRevolutionTourを敢行します。このツアーにはMudvayneやBlindsideのロック勢だけでなく、XzibitやSnoopDogらHipHopアーティストも参加しました。

また、Meteoraの成功によりバンドは多くの賞も受賞する事になります。MTVからはBest Rock VideoやViewer's Choice Awardを受賞し、2004 Radio Music AwardsではArtist of the YearとSong of the Yearを受賞します。MeteoraはHybridTheory程の売り上げを上げる事はできませんでしたが、2003年においてアメリカ国内で3番目に売れたアルバムとなりました。

続く……はず。

リンキンパーク ヒストリー1 -Beginning-の続きです。


 それまでの約5年間の集大成ともいえるデビューアルバム「HybridTheory」はパールジャムなどを手がけるドン・ギルモアのプロデュースにより2000年10月24日にリリースを迎えます。HybridTheoryは音楽ファンに熱狂的に受け入れられ、新人としては異例なビルボード初登場16位を記録し、その年だけで480万枚を売り上げる事になります。CrawlingやOneStepCloserなどのシングル曲はオルタナ系ラジオ局で大量にオンエアされ、Dracula2000、LittleNicky、Valentineなどの映画でもフィーチャーされました。

このような状況の中、LINKINPARKはグラミー賞のBEST NEW ARTIST、BEST ROCK ALBUM、BEST HARD ROCK PERFORMANCEの3部門にノミネートされ、BEST ROCK ALBUM、BEST HARD ROCK PERFORMANCEの2部門を受賞します。また、MTV Video Music Awardsにおいても、Best Rock VideoとBest Direction awardsの2部門を受賞し、バンドは一躍、音楽シーンの中央へと躍り出ることになります。

この間、バンドはOzzfestやFamilyValuesTour、KROQ AlmostAcousticChristmasなどのフェスやツアーへの出演こなす一方、2001年3月には初来日を果たし東京・大阪・名古屋の3都市で公演行います。さらに Cypress HillやAdema、Snoop Doggらのアーティストと共に自らが主催するツアー「ProjectRevolution」を敢行します。この年バンドが行った公演は実に320回以上にものぼりました。その模様はDVD「Frat Party at the Pankake Festival」として2001年の11月にリリースされる事になります。バンドを一時去っていたフェニックスも復帰し、バンドはHybridTheoryやHybridTheoryEPのリミックスアルバム「Reanimation」の制作にとりかかります。アルバムにはゲストとしてマリリン・マンソンやKORNのジョナサンなど数多くのアーティストが参加し、2002年の7月30日にリリースされました。「Reanimation」はビルボードで第2位を獲得し、発売初週での売り上げは27万枚にもなりました。


続く…のか?

またまた。

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今日は試験を受けてきましたよ
去年の秋も散々な出来だったけど、
今年はさらに輪をかけて散々な出来でしたー。いぇい!
いいんだ別に。ライフワークだから。

次は6月にロック検定を受けるつもりです。
いきなりハードにロックはできないので、
とりあえず3級から取ってみるつもり。
早くテキスト買わなきゃな…。

LINKIN PARKの第一歩は高校時代のマイク・シノダ、ブラッド・デルソン、ロブ・ボードンの3人によって踏み出されました。カリフォルニアのAgoura High Schoolの同級生だったマイクとブラッドは、放課後、マイクの部屋に集まっては曲作りを行っていました。ロブは2学年下でしたが、学園祭でドラムを披露するなどドラマーとしての活動は既に始めていてました。ロブとブラッドは「Relative Degree」というバンドで1年間だけプレイした後、マイク・ブラッド・ロブの3人で現在のLINKIN PARKの元となるXero(ゼロ)というバンドを結成します。ブラッドは当時のバンドのコンセプトについて次のように語っています。

「バンドのコンセプトは、ヒップホップとヘヴィなオルタナティブ・ロック、それからエレクトロニック・ミュージックを融合させる事。それを常に考えてた。今じゃ僕たちみたいなサウンドは珍しくとも何とも無いけど、当時はそんな事をやってる連中は誰も居なかったんだ。」

高校を卒業後、マイクとブラッドは別々の大学へ進みましたが、音楽への思いを募らせた彼らはマイクの大学での友人であったジョー・ハーン、ブラッドの大学でのルームメイトであったデイブ”フェニックス”ファレル、そしてマイクの高校時代からの知り合いであったマーク・ウェイクフィールドらをバンドに誘いXeroとしての活動を広げていきます。しかし、メジャーレーベルとの契約はうまくいかず、次第にバンド内の緊張と不満は高まって行きました。その結果、当時、バンドのボーカリストを務めていたマークは他のプロジェクトを行うためにバンドを去ってしまう事になります。さらにフェニックスも「TastySnax」として他のバンドとツアーに出る為にバンドを一時的に去る事になってしまいました。

ボーカルを失ってしまったバンドは再起を図るため、バンドのコンセプトをより明確に表す「HybridTheory」へとバンド名を変更します。もちろんボーカリストであったマークの代わりを見つける作業は難航し何人ものボーカリストへデモテープを送り、オーディションを行う日々が続きました。そんな中で遂に、アリゾナ在住のヴォーカリスト、チェスターベニントンの手にデモテープが渡る事になります。チェスターはデモテープを最初に聞いたときの気持ちを次のように語っています。

「テープには両面音が入ってて、僕が最初に聴いた面がインストゥルメンタルで、それを聴いた時は『このバンドは凄くカッコいい!』って思ったんだ。なのにその後ヴォーカル入りの面を聴いたら『さっきのは何だったんだ?』ってなったんだよ(笑)。正直言って、当時のマイクのラップは今のとは比べ物にならないし、僕もこのバンドに加入した時は今ほど全然上手くなかったもんな。で、ヴォーカル入りのバージョンは一度だけ聴いて、インストゥルメンタルの方ばかり聴くようにしてたんだ。バンドの演奏にひたすら集中して…。彼らの音楽が素晴らしい物で、今まで聴いた事の無い物だったっていう事実は否定できなかったよ。」

また、同じくロブもチェスターの歌声を始めて聞いた時の感想を次のように語っています。

「当時、僕たちがやってたような音楽に合わせて、歌いこなせるシンガーは少なかった。探すのは本当に苦労したんだ。オーディションを受けたのだって50から100人はいたんじゃないかな。上手い奴もいたし、まともに歌える奴もいたけど、チェスターが歌ったとき、彼の声には何かユニークなものがあった。もの凄く強力なシンガーだって事が分かったんだ。」

GreyDazeのボーカルとして地元である程度の人気を誇っていた彼のスタイルはユニークで、しかもマイクにとっては非常に新鮮な物であり、その2人の個性の出会いにより生まれた新たなスタイルはバンドの息を吹き返させるに十分なものでした。ですが、このような変化にもかかわらず、バンドのメジャーレーベルとの契約は依然として進みませんでした。しかし、バンドは自主制作アルバム「HybridTheoryEP」を制作。インターネットを利用し、ファンが自分たちの曲を無料でダウンロードできるようにし、さらにストリートチームを結成し世界中へファンを拡大していきます。

そんな中、ブラッドがインターンとして働いていたインディーズレーベルであるゾンバ・パブリッシングの副社長ジェフ・ブルー(現在はワーナーの副社長に就任)がワーナーにかけた一本の電話からバンドの道は開けます。既にワーナーには契約を何度も断られていた彼らですが、電話越しにデモテープをかけたジェフの熱意により、ライブを観てもらえる事になり、そしてついに契約まで漕ぎ着けます。
しかし、メジャーデビューに際して、大きな問題が起こってしまいます。彼らのバンド名「HybridTheory」と同名のバンドが既に存在していたのです。バンドは名前の変更を迫られ、当時バンドがよく使っていたスタジオの近くにあった公園の名前から「LINCOLN PARK」としようとします…が、その名前もインターネット上のドメイン名としてすでに登録されていました。そこでチェスターの提案で「LINCOLN PARK」を少し変えて「LINKIN PARK」という名前に変更する事になりました。

1999年、遂にLINKIN PARKとしてワーナーと契約したバンドは翌年、彼らのブレイクスルーとなるアルバム「ハイブリッドセオリー」をリリースする事になります。


続く……かも。

What I've done...

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リークされるのは時間の問題だろうと思ってたんだけど、なんだか微妙な日にリークされちゃいましたね。実は2004年のエイプリルフールはLINKIN PARKの新曲ネタでまんまと騙されてしまってるので、どうせまた騙してるんだろーと思ってたんだけど、思わずダウンロードして聴いてみると、どうやら本物っぽい…。
うーん、やっぱマズいでしょ、これ。リーク元はドメイン名からするとチリのファンサイトっぽいんだけど、よりによってファンがこーゆー事するなよって感じ。ファンならバンドの不利益になるような行動はしないで欲しいですよ。確かアッシャーだったと思うんだけど、リリース前の音源流出のせいで、アルバムが作り直しになってリリースが遅れた事もありましたよね。そんな事になってまた待たされるのも嫌だしさ。きちんとリリースされた音源を対価を支払って購入して、そんで、好きだの嫌いだの色々な意見を言いたいよね。

…と言いながらも、結局は自分もダウンロードして聴いちゃってるんですよね。URLを目の前に出されて、クリックすればダウンロードできますよ。みたいな状況になっちゃうとダウンロードしちゃうね…。ちゅー訳で、みんなに聴くなとは言えないし、LPJからリンクする訳にもいかないので、興味のある方は海外のファンサイトとかYoutubeとかで検索してみてください。

個人的には結構好きですよ。やっぱり、マイクのラップが絡むともっと格好よかったんじゃないかなーと思うけどね。あ、でもその分、カラオケでは歌いやすそうな気がします。LPの曲ってあんまりカラオケじゃ歌えないけど、これなら行けるかも。

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